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講師インタビュー
最後の結婚・最高の再婚 再婚とは本当の自分ともう一度出合うこと
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講師インタビュー

以前、ハネムーンに出かけたカップルが帰国と同時にスピード離婚するという成田離婚が話題になったが、今や日本の離婚率、未婚・非婚の傾向は、国を左右するほどの問題にも影響を及ぼしているという。少子高齢化の加速、ひとり親家庭の増加、そこにまつわる経済的な負担、子どもの苦悩、ステップファミリーならではの人間関係の悩み…これらの問題は国の財政を逼迫するばかりか、それを解決に導く“抜本的な答え”も見当たらず、すべての分野において救命胴衣のような“何か”が求められているのだ。 かつては理想的な結婚をしたはずなのに、努力も虚しく離婚を経験し、深く傷ついたことがあるという岩永留美講師は、ミロスに出合い、なぜ人間はその体験をしなくてはいけなかったのか?という“この世の仕組み”と、思い通りにいかない“トリック”が存在していることを知ったと言う。彼女が知った、この世で生きるすべての人に共通する大切な“暗号”が隠されているという結婚、そして再婚について話をきいてみた。

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この世を“愛と調和の世界”にしたい!!

岩永講師は、幼い頃から互いに傷つけあう両親の間で、「なぜ人は互いを自分のことのように思いやることができないのか?」そして「なぜそうなるのか?」という本当の理由を探し求めて成長してきたといいます。

私が6才、弟が2才の時、両親はレストランを開業しました。団地に暮らす、ごく一般的な家庭の子だった私と弟は、突然その日から鍵っ子になったのですが、 妙に物わかりの良いしっかりした子どもでしたから、文句一つ言わずに一生懸命やっていたと思います。 その頃の記憶はほとんどないのですが、夕日が差すベランダで脱水機に洗濯物を移していた二層式の洗濯機だけは今でもリアルに覚えています。

毎日私は、保育園からバスで帰ってくる弟と二人でお留守番…今思うと2才と6才の子どもが留守番をするのもスゴイ話ですけど、置いて出る親も度胸がありましたよね。 まぁ、団地ですからご近所の協力もあっての事ですけど。お留守番をしながら私は弟の、ちょっとした小さなお母さん役になりきっていました。 そして、夕飯時には母がバイクで食事を運んで来ます。それを食べ終わるとまた、お店に戻って行く…。 寂しい気持ちはあったのかも知れませんが「お母さん達も頑張っているから、留美たちも頑張ってね」という、いつものセリフを聞くと平気なふりをして笑顔で見送っていた、そんな子どもでした。

母は、幼い時から苦労してきた頑張り屋さんです。2歳で母親を亡くし中学で父親も他界、独学で運命を切り開き20歳で私を出産したと聞いています。 レストランも、どちらかというと父より母が言い出して父の背中を押したみたいでした。そのせいか、経営に対しても母の方が何かとたけていたように見えましたね。 頑張る母親を見てカッコ良いと思ったし、今でもそうですが「この人には絶対かなわない」と感じるほど何でもできる人。ですから、頑張るのが当たり前、早く大人になって両親を助けなきゃと思っていました。

朝から晩までただ黙々と働く両親。やがて資金ゼロから4年間で店舗つきの自宅を築くことができました。 母の出身地にオープンしたお店…開店祝いには沢山の親戚が訪れ、私も転校生として、レストランの娘として注目を浴びる存在になっていきました。 ところが、仕事場が自宅の一階になった喜びもつかの間、今度は両親が日頃、何かにつけて喧嘩をしていた事実も目の当たりにするようになってしまったのです。 父の罵声に涙する母の姿。両親の不仲ほど、子供の心を傷つけるものはありません。「なぜ人は互いを自分のことのように思いやることができないの?」誰かに聞いてみたくても答えのありかが分からない。 気がつくと常に「この世界を愛と調和の世界にするにはどうすればいいのだろう?」ということばかりを模索するような子になっていました。

向上心こそが私の存在価値

バリバリ働く母親とは対照的に地味な父親。貯金が趣味で愚痴っぽい。 何かと母親のせいにしては怒鳴り散らす父親を見るたび腹が立ち、だんだんと許せないと感じるほど憎しみを感じる存在になっていったと言います。

父は、1歳のときに父親を失い、それ以来、母一人子一人で大切に育てられたそうです。 田舎でのんびり育ったせいか、馬車馬のように働く母とは、ベースの感覚がもともと違います。 もしかすると、これ程までに黙々と朝から晩まで働くこと自体が父にとっては初めてだったのかも知れません。 要領が悪く、そのくせ母に対しては強く出る内弁慶タイプ。休みの日には、ただ家でゴロゴロしていたい人ですから、父と遊んだ記憶はほとんどなく、 家族で買い物に出かけても母が中心になって動いていました。そんな父の口癖は「どぎゃんでん」(※どうでもいい)全てに対して「どぎゃんでん」でした。 私の人生の色々な節目でも、父の答えは「どぎゃんでん」…。 私は事あるごとに、父から見放されたような思いを感じ自分が結婚する時は、責任感のある尊敬できる人にしよう!と心に誓うのでした。

真逆な二人は、事あるごとに衝突し喧嘩の絶えない夫婦でした。 私は、とにかくなんとかしようと母の味方をしてみたり、父の機嫌をとったり、皿洗い、お運び…二人が喜ぶ事は何でもやりました。 「私が頑張るから喧嘩しないで!」心の中でそうつぶやきながら。 やがてそんな行動は「私さえ産まれて来なければ両親はこんなに働かなくてもよかった、喧嘩もしなくてすんだんだ」という自己否定に繋がっていきました。 生まれてきた罪悪感。それは私の心の中に「凄い人にならないと私は産まれてきた価値がない。愛される資格もない。」という勝手な思い込みを植え付けたのです。

母は、自分の学歴にコンプレックスを持っていたのか、とにかく「大学だけは好きな所に行きなさい」が口癖でした。 それが母の精一杯の愛…ですから、弟は中学から熊本の全寮生の学校へ、そして私もミッション系の高校に進学し寮生活を送る事になりました。 女子校の寮生活は、まるで宝塚(?)のよう。スポーツ万能などこかちょっと少年っぽい娘がモテモテになるんですね。 そして先輩を「お姉様」と呼ぶ完全縦社会、朝は6時から館内放送とともに雑巾がけ、お洗濯は洗濯板で、洗濯機が使えるのは3年生になってから…(笑)

常に「清く・正しく・美しく」ですから、当然、男女交際禁止、パーマ禁止、白い靴下は三つ折り、平日は外出さえも禁止という生活。 これはもう修道院(笑)ですね。きっと子どもの頃の体験がなかったら、耐えられなかったかも知れません。 でも「今より良くなるために」どうしたら良いか?を追求する生き方は私のベースと一致していたのでしょう。 昨日より今日、今日より明日ととにかくスキルアップ、自分磨き。そして何かができるようになること、 誰かの役にたつことで無意識に「生まれて来ても良かったでしょ?」と自分の存在価値を認めてもらいたかったのかも知れません。

ダメな夫を創り出す、幸せになれないプログラム!?

常に向上心から自分磨きをしていた岩永講師。親の言う通り東京のセレブが通う有名大学にも進学し傍からは輝かしい人生に見えていただろう。 ところが、彼女を待っていたのはどんなに高みに上っても、常に自分を問い、もっと良くならなければ、もっと、もっと…と終わりのない世界。 常に優越感と劣等感のはざまで、もがき苦しむ毎日だったという。

心のどこかで向上心こそが正しい生き方だと思っていましたから、私は常に上を目指し、他の人の役に立つことを基準にして、 結果を出すこと、何かができること、効率を上げることに重きをおいていました。だから心が休まる暇がないというか、 達成しても達成感がないというか、どこか満足できないんですね。時代はバブル絶頂期でしたから、今では考えられない贅沢な接待も経験もしました。 でも、常に物足りなさを感じてしまうのです。東京で、花の女子大生そして、卒業後は霞ヶ関で政府外郭団体での仕事を経験し、 両親にとっても“自慢の娘“になれたはずなのに、私の探し求めていた“愛と調和の世界”からはどんどん離れて行くような感覚になるのです。

退職後、故郷に戻りふと振り返ると、これまで私は、すべて両親を喜ばせるために生きて来た…時には勝手に母を可愛そうと決めつけて。 これでは両親が馬車馬のように働いてきた意味がない。私が幸せな人生を歩むことこそが本当の親の願いのはず!そう思い始めたある日、 お見合い話が舞い込んできました。今まで華やかな都会で華やかな恋愛も経験したけど、舞い込んだお見合い話は、今までとはまったく違う世界でした。 両親を反面教師とし「尊敬と感謝があれば結婚は上手くいく」という持論を持っていた私は、それに合致する人が来た!と思いました。 学歴も、ルックスも素晴らしく、私のことを「俺にはもったいない」と常に尊重してくれて、仕事にも情熱を持っている。 人生最大の幸せだと思えたくらい、当時の私には本当に理想と幸せを手にした結婚でした。

ミロスをまだ知らなかった私は、家庭に入っても向上心のかたまりでした。常にパートナーのお役に立たなければ私は存在価値がない!と全力で頑張りました。 当然、相手の役に立つためには、彼の弱点をカバーしなくてはいけないワケですよね。と、言うことは常に彼のダメな所を探してフォローするということなんですよ。 だんだん、頑張れば、頑張るほど彼がダメな人にしか思えなくなって来ました。

良かれと思ってサポートしていたつもりが、役に立つために彼をダメ夫にしなくてはいけないというからくり!! 今でこそ、これがトリックだと見破る事ができますが、当時の私は、どんどん彼との溝が深まり、 とうとう「画家になりたい」と仕事を辞めてしまった彼を、私が働いて家計を助けなくてはいけないという状態になってしまいました。 子どもも二人でき将来への大きな不安をかかえ、それでも頑張る事で自分の存在価値を見いだしていた私は一生懸命働きました。 ミロスを知って、コレこそがダメな夫を創り出す「幸せになれないプログラム」だったと知らされてズッコー!って椅子から転げ落ちるほど衝撃を受けたんです(笑)

紐解けた人生「誰も悪くなかった!」

やがて理想的な結婚をしたはずのパートナーとは、努力も虚しく離婚。深く傷ついた岩永留美講師は、ミロスのシステムで一つ一つを紐解いていった。なぜ人間はその体験をしなくてはいけなかったのか…。

今でこそ、こんなに自信たっぷりにお話ししていますが、私も過去を振り返ると、とんでもない失敗の連続でした。 ミロスに出合った後ですら、ミロスを使って「どうすればより良く生きられるのか?」なんて今までの生き方の延長線上に“愛と調和の世界”があると思っていたほど古い思考形態のトリックにはまっていたのです。 でも、一つ一つ実践で紐解く度に分ってきたんです。ミロスは全く違う新次元の思考テクノロジー、トリックを見破る視点の話なんだって。 今まで本当に私たち人間は、このトリックを知らずにもがき苦しんでいたのです。だから、誰も悪くない。失敗というより、誰もが知らなかっただけなんですね。

私は、両親を見て「私が結婚するのならこんな人は嫌だ」とか「こんな風に暮らしたい」と自分の生き方の理想を思い描いていました。 世間の皆さんもよく『彼は理想の人!』と言いますが、理想とは“自分に無いものを埋めてくれる”というのがベースです。 親も自分が手にできなかった事を、よく子どもにだけは…って託しますよね。学歴とか夢とか。この欠乏感がベースにあることすら気づかないほど私達はトリックにはまっているのです。 彼をサポートするためには、彼ができない部分を見付けなくてはサポートすら成り立たない!この仕組みに人間は気づけない。 まさに、片方の自分の姿に気づけず、もう片方を欲しがったり目指したりして極から極へいったり来たりしていた今までの生き方。これではうまくいかなくて当然です。

私はミロスを知って全ての事象が一枚の紙の表と裏のような関係性でできていると知りました。 片側から思い込みで見ていた世界から脱出してみるとすべての正体が見えて来ます。 片方で見放されたと感じた「どぎゃんでん」と言っていた父の言葉も、父の方から発していたのは 「留美が決めた事だったらやってみたら良い、信じて応援するよ」という愛だったのです。 そんな気持ちを口にできない九州男児の精一杯の愛の言葉はトリックの中では届かない仕組みになっていたのです。

講師からのメッセージ 「再婚とは本当の自分ともう一度出合うこと」

長い間、人類は「結婚」というシステムで命をつないできました。しかし、その結婚の本当の意味を私達は誰かに教わったことが無かったのです。 私は、世の中の問題は、全て人間が作り出すと感じています。その“人間の仕組み”や、人間が生きる“この世の仕組み”を知らずに戦ってきた時代に、 もうそろそろ終止符を打たなくはいけないと痛感しているのです。それには、人間を作り出してきた“結婚の本当の意味”を知ることではないでしょうか。

私達は父と母の結婚で生まれて来ました。その結婚が美しくない訳がありません。それどころかミロスのシステムにあてはめると“欠乏感”ですら幻想だと分かります。 今、私はバツイチ同士の再婚家庭で、今までにない自由で幸せな毎日を過ごしています。夫は私より父に近い年齢、ですから私の連れ子は夫の孫より小さいという状況です。 複雑な家庭環境に加え舅、姑とも同居。はたから見たらデメリットだらけに見える再婚夫婦の私達が愛に溢れて過ごしている!ミロスの視点が無ければ絶対に無理でした。

今、夫と日々ミロスの実践をしているとつくづく再婚とは、本当の自分にもう一度出合う事なんだと痛感させられます。 そしてその姿は何一つ欠けていないパーフェクトな存在なんだと感動します。欠けているものがあると思っていた思い込みの渦を脱出して、 人間がバランスを取り戻す時、初めて私の探し求めていた“愛と調和の世界”がどこにあるか分かったのです。 この世にたった一人、唯一無二の自分自身に出合える…MIROSS。このシステムがあれば、たとえ今あなたがどんな渦の中にいても、 どんな問題を抱えていても 毒を蜜に変え一瞬でその渦の中から抜け出すことができるのです!全てが完璧で、 今までの人生が“本当の自分”を愛するための大切なレッスンだったと分かります。

ミロスアカデミーでは世界で初めてその方法をお伝えしているのです。

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