『私の中のいじめが終わった!』

(K・Cさん 40代女性 熊本県在住)

中学時代のイジメ。
それが原因で約30年間鬱病に苦しみ続けミロスに出会いました。 

鬱病は克服したから!
ミロスがあるからもう大丈夫!

そうは思っても、
「陰で何か言われているかもしれない」
という恐怖は何度も何度も容赦なく私を襲ってきました。
『自己否定があるから。』
わかっていても、それがどこから出てくるのか、いつも腑に落ちない感覚でした。

私が育った環境は
140年以上続く家業を営む家で、祖父母と両親と兄二人と私の七人家族でした。
祖父母も両親も親戚も皆成績優秀で、兄たちも「オール5取って当たり前」。

そんな「できて当たり前」の家で、私は常にいい子でいるよう躾られました。
そしていつからか、母の気持ちを自分に向けたくていい子でいることを頑張りました。

ところが、母の気持ちは中々私には向きません。

幼稚園のお迎えの時間になっても母の姿はありませんでした。
私は、いつも自宅を通りすぎて友達の家に預けられていました。
母は仕事はしてないのに、何故か家にいないことが多かったのです。

私はそんなお迎えの時間がイヤで、登園拒否をしてみたり、体調不良で休んだり。
しかし、たとえ高熱を出したとしても、母は私を置いて出かけていきました。

小学生になってもそれは変わらず、
「ただいま〜!ただいま〜!」と叫んでも誰も応えてくれず、ランドセルを背負ったままテレビの前に座り込む…そんな寂しい日々は続きました。

そんな寂しさを押し隠し、小学校では6年間通して学級委員をしたり、児童会役員になったり、いい子で頑張り続けました。

しかし、どんなにいい子でいても、母の愛情を受けることは難しく、寂しい気持ちを抱えながら中学へ進学しました。

そこで待っていたものは、「イジメ」

陰湿なイジメは長期に渡り繰り返し、中学を卒業した頃に私は鬱病になりました。

当時はまだ今のように鬱病が知られていない時代です。
母は「育て方が悪かった」と自分を責めて、私の後を追うように母もまた鬱病になりました。
その後、それは躁鬱病へと変化しました。

母娘で自殺未遂と入退院を繰り返し、死んでいるみたいに生きていました。

長い長い時を乗り越えて、やっと鬱を克服しても繰り返す恐怖心。
誰かと信頼関係が築けたかと思っても、必ず摩擦が起きてしまいます。

なぜ、こんなに繰り返すのか?

ある友達との摩擦がキッカケで、今まで見えなかったことが見えてきました。

「イジメ」で受けた疎外感をもう味わいたくなかった私は、誰かに受け入れてほしくて、誰かに愛されたくて、いつもいい人を演じていることに気づきました。

実はそれこそが自己否定を生み出していた行動だったのです。

自分の言いたいことも、やりたいことも我慢して否定して・・・本来の自分をねじ伏せて生きていた。

だから必ず誰かから否定され、摩擦が起きていたと気付きました。

母から愛されたくて、一生懸命「いい子」を演じ、「いい子」と同じ大きさの自己否定は、「イジメと病気」を引き起こしました。

ミロスと出会えなければ、一生病気から抜け出せなかったかもしれません。

そして現在、結婚して内助の功でいい妻を演じれば、私の中の自己否定はすべて主人に映っていました。
職を何度も変わることを余儀なくされ、経済は回らなくなりました。

主人に映っていたのは、私が幼い頃からとても嫌った「ダメな自分」や「できない自分」だったと気付きました。
主人は何も悪くない。
ただただ、映っただけでした。
ただただ、その情報を拾い集めていただけでした。

そう気づいただけで、主人の愛を真っ直ぐに受け取ることができるようになりました。

いい子で、いい人で、いい妻で、頑張る分、目の前に現れる自己否定。

ただそれだけだったんですね。

すべてはシステム通り。すべてはミロスに辿り着くための大切なプロセスだった。

やっと紐解けました。これが私のありのままの姿。

そして、この事を書いた数日後、摩擦があって離れた友達から連絡がありました。
お互い、まるで何事もなかったかのように以前と変わらず楽しく会話をすることができました。

ミロスの凄さに、ただただ感動する毎日です。

さあ、すべてが整いました。新しい自分に会いに行きます。

大切な家族や兄弟や親戚、病院の先生や看護婦さん、出会ったすべての友達、
辛かった出来事、鬱病だった私、一緒に苦しんでくれた母、毎日仏壇に手を合わせながら母娘の回復を願い続けた父、そして、一緒に歩んでくれる最愛のパートナーへ
「愛しています、有難う」