『相手を変えようとしていませんか?~究極の子育て~』

(S・Jさん 30代男性 兵庫県在住)

何度注意しても言ったそばから繰り返す娘・・・このままではいけない!この子を何とかしよう・・・変えようとしていた自分がいた。
子育てのなかでは不安もあり子どもに対しては責任もある。
“子どもに対しても全て自分が実践していくんだ”これを決める覚悟が出来た、数週間後の参観日に先生から「娘さんは本当に穏やかでまわりをなごませ、見習いたいです」と言われました。
“おだやか”という言葉は自分の子供時代に言われていた事と重なった。
人の話を聞かないゆるいマイワールドに生きる娘の姿に抵抗があったけれど、娘へのジャッジが無くなり自分のゆるさが解放されているのを日々感じます。

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『相手を変えようとしていませんか?~究極の子育て~』

2016年のプロセスはミロスの講演会からも『このために生まれてきた』という答えにたどりつき、その年の集大成であり、翌年の雛形ともいえる12月の講演会では『これしかない』というゆるぎない答えにたどりついた。

自分のなかで完全に腑に落ちた感覚。
今までの根源からのミラクルを体感されたかたがたにも、どこかそれを感じていたから、それを言葉で理解できた感覚でした・・・

“これしかない”
“これで生きる”
“覚悟”

そして講演会後、そこで感じた1つひとつのメッセージは日常の体験のなかで体感として実感していきました・・・

そんななか、自分のなかでいよいよ『これしかない』覚悟にぶち当たる体験が起こりました。
それは今までの過程でもずっと感じていたもので、それが膨らみ、飽和状態になるところまで来たのです。

それは自分の書いていた文章の中ではよく出てくる娘との関係性でした。
自分のなかで娘は注意してもすぐに同じことをするところに、
「自分達(親)の気持ちをなんだと思っているんだ!どんな想いで伝えていると思っているんだ!」という怒りを感じていたのです。
そして何度やっても言ったそばから繰り返す娘にどんどんとぼくから出る言葉は辛辣なものになっていきました。
そしていつしか娘はひとり悲しく泣いている時間が生まれていったのです。

このままではいけないと思っていたのは妻も同じで、ある日、夫婦で本気で話しました。
「このままではこの子がどんな子になってしまうか?どんな体験をしてしまうか?」その不安は自分のなかではずっと在りました。
その都度、自分の中で不安を受け取ろうとしたり、どんなものが映しだされているのかと実践はしてきたつもり・・・
そしてその場では少しずつ変化は起こっていた。けれど、根本が変わらない。

自分のなかで確信してるのは『これしかない』という答えだけ・・・
妻は「自分たちが夫婦の関係性で実践するように子どもにも実践できたらいいね」と言った。

本気で子どもに対しても本気で実践をする覚悟を決めるときだと感じたのです。
そしてその想いを妻にも話し始めました。
「自分の中ではどんなものも『これしかない』という覚悟、それしか無いと思ってるよ」
と、その言葉を発した瞬間、自分のなかで答えがみえた。

「自分では娘を変えようと思っていた」と・・・

以前、自分達夫婦は離婚寸前になるくらい、お互いが相手の想いも話も聴き合えなくて、すれ違っていた。
けれど、その時自分は『相手への実践の強要』を止め、自分が実践していくことを本気で決めたことがあった。
そうしてお互いが同時に“相手”のある実践が終わっていった。

子育てというのは僕の中で、子どもという相手(他者)を育てていくこと、その責任があるという認識があり、
だからこそ実践しようにも、“前提に分離されたなかでの実践”になっていたのだとパラドックスに気づいた・・・そこに『これしかない』覚悟が混ざり、

「『子どもに対しても全部、自分で実践していく』これを決める」覚悟ができた。

それから数週間―。
自分のなかでその覚悟の直後から子どもに対して起こっていた『相手への怒り』というものが消えていることに気づいたのです。
先日、妻から「以前だったらかなり怒っていたことも怒らなくなったよね」と言われた。
自分は「全然、気にならなかった」と答える自分自身に変化を感じた。

その直後に、娘の参観に行ったのですが、
先生から「娘さんは本当に穏やかで、彼女は周りをなごませる。先生も見習いたい」と言われました。
“おだやか”というキーワードに、自分の子ども時代に言われていたものが重なりました。
子どもは自分そのものだったんだと・・・

そしてその子どもとの関係性に映しだされていたものは自分の奥のテーマにもつながっていた。
『ゆるめる と しめる』
常に緊張感を持ち、責任に緊張し、チェックも念入りに繰り返し行う日々を生きる自分にとって、人の話も聞かないゆるいマイワールドに生きる娘の姿は抵抗そのものだった。

けれど今回の覚悟から、“娘のゆるさへのジャッジ”が無くなり、同時に自分のゆるさが解放されているのを日々の変化で感じています。
たぶんその2つも創造するうえでの根本的な必要性なのだとも感じ、そのテーマへも興味をいま感じています。

生まれるときに決めてきたテーマ、それをこのシステムを知り、体験しながらハッキリと理解し、本当のテーマが湧き出る“成って行くプロセス”すべてに感謝いたします!