『大好きなお祖父ちゃんからのプレゼント』

(Yさん 20代女性 兵庫県在住)

苦手意識のあった祖父は“怒りん坊で怖い!きびしい!”イメージでした。
入院中の祖父と長い時間一緒に過ごせて、祖父が怖い厳しいだけではなく、その裏には愛しかなくて、子ども達や皆のことが大事で仕方なくて、守りたいから表現が厳しくなっていたんだと分りました。
祖父を通して「縁というもの、繋がり、絆」これが本当に大事なものだと身に染みてよく分かり感謝でいっぱいの彼女なのでした。

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『大好きなお祖父ちゃんからのプレゼント』

6月12日に
母方の祖父が亡くなりました・・・。

祖父はパーキンソン病を患っていましたが、2年ほど前までは、頑張って会社にも行っていました。
尿が出せなくなり、入院することになり、退院後は介護付き老人ホームで生活をしていました。

そんな中、ゴールデンウィーク明けに祖母から連絡があり、祖父が肺炎を起こし、入院したと聞きました。
容態はあまり良くないようで、母から後悔しないように動きなさいと言われ、すぐに東京へ帰りました。
病院で目にした祖父の姿は明らかに違っていました。
寝たきりで呼吸器をつけられていました。
この前会った時は 元気だったのに・・・

その日以来、毎日 お見舞いへ行きました。

毎日、面会開始時間くらいに行き、4~6時間 祖父の側にいました。
肺炎はしばらくして治りましたが、担当医から説明されたのは、老衰が進んでいて、体の機能が低下しているとのことでした。
また痰が詰まってしまって危なくなる可能性がある話も聞いていました。

私の従兄姉と大叔母(祖父の妹)2人に連絡をして、みんなにお見舞いに来てもらうようになりました。
祖父のいるリカバリー(ナースステーションの隣の重病さんのいるお部屋)には、毎日私はいて、いれる日は母と祖母と父もずっといました。
そこに、従兄姉がいる日もあれば、大叔母がいる日もあり、リカバリーが賑やかな毎日でした。

毎日祖父の側にいるのが当たり前なこととして、病院に通い、寝に帰ってまた病院へ・・・と病院と家の往復のみの毎日を過ごしました。
他の患者さんを見てみると、お見舞いに誰も来ていなかったり、時々しかいなかったり、いてもすぐ帰ってしまっていました。
それを見ていたのと、祖父の側にいつもみんないるのをみた大叔母が『お兄ちゃんは幸せね〜』と言っているのを聞いて、祖父が愛されているのがよく分かりました。

祖父は怒りん坊でした。
怖いとか厳しいイメージがあり、怒鳴ることもありました。
その時はみんなが嫌がってる印象があったから、こんなに愛されてる人って気付けたのはこの時が初めてでした。

祖父は入院中、2度危ない状態になり、呼び出されたことがありました。

その時に祖父を通して感じたのは、生命力の強さ。
どんな風になっても生きる、意志力の強さでした。
こんなに強いのかと圧倒された感じがありました。

祖父の容態が安定したのも束の間、隣のベッドの方の容態が悪くなり、次の日に急死されました。
初めて、人の死を目の当たりにしました。
あまりにもショックで、ご家族がちょうどいなかった時でした。
ご家族が駆けつけた時に聞こえた会話は後悔ばかりでした。

後がある、また明日ねーと未来があると生き、後回しにして、今で生きれないと人間は後悔をしてしまうんだ。それを知る体験でした。
私達家族に、祖父が危なかった時、
『残ったほうがいいですよ。ご家族がいない間に亡くなってしまう方もよくいて、ご家族が大変後悔されるんですよ。』
と引き止めてくれた看護師さんがいました。
看護師さんが言っていた通りのことが起きたのでびっくりしました。
1つ1つの出来事が、目の前でこういうことだよと色々なことを教えてくれる そんな日々でした。
でも、そんな中でだんだん感じてきたのが、祖父がもしこのまま亡くなるとしたら、 付けられた機械がツーっとゼロになる瞬間を見たくはないな、そんな思いでした・・・。

祖父は、亡くなる3日前までは反応がありました。
声が少し出せている日もあったり、最後の方は目をキョロキョロさせるか、うなづく、軽い応答ができていました。
来た時の挨拶で母が『ハーイ!』と話しかけたら、『ハーイ』と帰ってきて、笑わせてくれたり、帰るよーと言うと寝ながらも手を振ってくれる日もあり、お茶目な祖父を初めて見ることができました。
今までのイメージが最後まで塗り替えられていきました。

祖父に反応が薄かったですが、色々話しかけたりしていました。
その中で母と1つだけ楽しみにしている予定の話を時折していました。

『私ねー今度、海老蔵さんの歌舞伎観に行くんだー!
1階席の1番前なんだー!しかも通路の横なの!』

祖父のお見舞い生活中に、何ヶ月か前に申し込んでいた市川海老蔵さんの歌舞伎の自主公演に当選していたみたいでチケットが届いたのです。
当たった嬉しさ、席が今までの人生で1番素敵な席が用意されたことが嬉しくて祖父に思わず話していました。

祖父が入院して1カ月と12日後、6月12日。
祖父の反応はその2,3日前からピタリと無くなっていました。
もう長くない、それは分かりました。
6月11日も深夜まで付き添いました。
ただ、その12日が楽しみにしていた歌舞伎の日でした。
12日になった深夜に帰り、仮眠をとってすぐにまた朝に祖父に会いに行きました。
なんとなく、いつもとは違う病室でした。
歌舞伎はお昼からの公演でしたので、昼前に病院を出ました。
『じぃ、行ってくるねー!』
それが、最後にかけた言葉になりました。

なんとなく、もう最後かなとも感じていました。
でも、本当に十分すぎるくらい祖父との時間を貰った私も母も、今このタイミングで歌舞伎に行く事に後悔がありませんでした。
家族には、歌舞伎が終わるまで何かあっても連絡をしないでねと頼んでいきました。

海老蔵さんの歌舞伎の演目は石川五右衛門でした。
終わってすぐ、祖父が亡くなった事を電話で聞きました。
亡くなったその時間、ちょうど海老蔵さん演じる五右衛門が『絶景かな、絶景かなぁ〜』と叫んでいた時でした。
それは、今思えば 祖父の言葉だったのではないかなと思います。
フィナーレには目の前が見えづらくなるほどの小判型の金色の紙吹雪が降って来ました。
そういえば、私の祖父の印象としてお金が好きで大事にしていました。
私にもたくさんのお小遣いをくれました。
それも、口下手な祖父からの想いの詰まった愛そのものだったこと、今ならよく分かります。
愛いっぱい頭からつま先まで被って会場を出て、真っ直ぐ祖父のいる家へ帰りました。
家に帰っても、まだ体のあちこちやバックの中から出てくる小判の紙吹雪。

私と同様に亡くなる瞬間は耐えられないから見たくないという思いを抱いていた母の希望を叶えるように、2人が楽しんでいる間に、息を引き取った祖父。
海老蔵さんを通して、粋な最後を飾る祖父。
私と母にたくさんの小判という愛いっぱい降らせて・・・

後から考えれば、1つ1つの出来事、タイミング、全てが完璧でした。
それは、まるで最初から決まっていたかのような完璧さ、その通りでした。
祖父の死を通して、何1つ人生における選択は間違っていなかったし、だから、悔やむことも本当は何もなかった。
1つ1つ繋がっていて、理解するための出来事だったと分かりました。

私の行動を今振り返ってみても変わったのではないかなと思うこともあります。

苦手意識のあった祖父とあんなに長い時間一緒に過ごそうとしたこと。
それも、祖父の印象が変わったのがあります。
怖い厳しいだけの人ではなく、その裏には愛しかなくて、私達のことが大事で大事で仕方なく、守りたいから表現が厳しくなってしまう。

怖い、厳しいしか見れなかった頃とは全然違って見えました。

祖父がくれたこの1カ月半は、家族や周りの人の縁の復活や絆が深まった体験。
見えなかったものを見せてもらい、認識が変わっていく体験、全てが完璧だったことを知る体験、あらゆるパンチもくらいましたが、濃すぎるくらい濃い日々を過ごし、私を少し強く、そして成長させてくれた私にとってかけがえのない日々でした。

祖父には、感謝でいっぱいです!

ありがとう、大好きだよ。

そして、家族、周りで支えてくれた皆様に感謝でいっぱいです。
縁というもの、繋がり、絆。
これが本当に大事なものだと身に染みてよく分かりました。